「この資料を返しにきました」
言って、ぶっきらぼうに差し出す。阿部は手に取ると、あぁ などといった声で納得する。
「わざわざ悪いね。ありがとう」
軽く右手をあげた後、すぐに視線を目の前の机へと向けてしまった。漢字の小テストのようだ。赤ペンを手に持ち、採点を始める。普通ならば、この後は聡が扉まで戻り、失礼しました、などといった言葉と共に扉を開け、それに対して阿部がチラリとそちらへ視線を向けながら、あるいはそのまま机へ視線を向けたまま、あぁ とか、ごくろうだったな などといった言葉を発し、その言葉を背に聡が部屋から出ていくものなのだろう。だが聡は、そのまま黙って阿部の姿をジッと見下ろした。
しばらくして、刺すような視線に気付いた阿部が顔をあげた。
「何だ?」
キョトンと首を傾ける。
「まだ何か用か? 今、小テストの採点中なんだ。あんまり見られていると困るんだがな」
「さっきの話、どういう事です?」
気を許すと叫んでしまいそう。必死に感情を抑えながら、掠れそうな声を出す。
「さっきの話?」
「二年連続で美鶴の担任だって。貧乏くじだって。それってどういう意味ですか?」
阿部は小さく目を見開き、すぐに納得したような声をあげた。
「あぁ、そうか。君は四組の金本だね」
「俺が誰であるのかなんて、そんな事は関係ない」
「大迫の事が好きだっていう男子生徒だろう?」
「そんな事はどうでもいい」
語気を強めて詰め寄る。
「美鶴の事を貧乏神みたいな言い方しやがって。どういうつもりだ」
教師への敬意などどこへやら。まるで同じ歳の瑠駆真でも相手にしているかのような口調で睨みつける。そんな相手に、だが阿部は飄々と答える。
「この学校では教師の立場は低いが、それでもそれなりの立場は認められてはいるんだよ。しかもここは品行方正を重んじる唐渓だ。そのような発言は控えたほうがいい。君のためにはならない」
「答えになってないっ!」
バンッと机を叩く。
「美鶴が退学になればいいみたいな事も言ってたよな」
「盗み聞きはよくないな。品が無い」
「教え子の陰口叩いてるほうがよっぽど品が無いとは思うんだがな」
「言われたな」
阿部は笑う。
「笑ってる場合か。それでよく教師が勤まるな」
美鶴の奴、こんな担任のクラスに放り込まれていたのか。
「勤まるよ。私はこれでも立派な現代文の教師だからね。教員免許もちゃんと持ってるし。もちろん不正なんてしてないよ」
「免許があるかないかなんていう問題じゃねぇだろっ! 教師ってのは、学問教えてりゃいいってモンでもねぇだろ?」
「どうしてだ?」
「どうして?」
「教師ってのは、教える師と書く。物事を教えるのが仕事だろう?」
「だからって、勉強教えるだけが仕事じゃねぇって言ってんだよっ」
何だコイツ。
怒りで頭が沸騰しそうになる。
阿部は文系の現代文を担当している。理系の聡にはあまり縁のない存在だ。去年も今年も、阿部の授業は受けてはいない。だから今まで、こうやってマトモに向かい合って話したことなどなかった。
「じゃあ、他にはどういう仕事が? 部活か? 彼女はどこの部にも所属はしてはいないようだが?」
「部活以前に、担任だろっ」
「そうだよ。それが何か?」
「だったら、生徒のメンタル面とか倫理面とかもみるのが教師なんじゃねぇのか?」
「メンタル面? 倫理?」
「美鶴に対して、くだらねぇ噂が流れてあれこれイザコザが起こってるだろ。教師なら、それを咎めるのが仕事なんじゃねぇのか?」
「唐渓の教師に、そのような権限は無いよ」
「権限じゃねぇよ。義務だ」
「義務?」
コイツ、本当に教師なのか?
マジメに首を捻る相手に、聡は自分の方がおかしいのではないかと錯覚してくる。
唐渓の教師は立場が低い。それはツバサや蔦康煕から聞いて知っている。イジメが行われていても見て見ぬフリをする教師もいると聞いた。だが、教師自らが生徒の陰口を叩いているとは思わなかった。
「お前、それでも教師かっ!」
いや、教師以前に、人間として疑う。
そんな怒気を込めた視線で見下ろされ、阿部は口をへの字に曲げた。そうして目尻も下げ、困ったように口を開いた。
「それは、教師になった事のない人間の発言する言葉さ」
「は?」
「教師というと、誰もがテレビドラマに出てくるような、熱くて人情深い人間を思い浮かべる。でもね、教師だって、所詮はサラリーマンみたいなもんなんだよ。給料もらって働く、ニ・ン・ゲ・ン」
阿部は背もたれに埋めていた身を伸ばし、両肘を机の上に乗せた。そうして掌を合わせて指を組む。
「人間なんだ。厄介だと思う人間の事を厄介だと口にするのは、当然だろう?」
「だからって、なにも自分が担任するクラスの生徒を、しかもこんな陰で」
「じゃあ、当人の目の前で言えばよかったのか?」
閉口した。
コイツ、マジで言ってるのか?
「言っておくが、この唐渓では、これが当たり前だ」
「陰口が当たり前だというのか?」
「陰口なんてのは世の中の当たり前だ。そんな事を言っているんじゃない。この唐渓では、馴染めない人間が爪弾きにされるのは当たり前だと言っているんだ」
「馴染めない人間? 集団に媚の売れない人間と言う事か?」
「場合によってはそうなるな」
「ヘドが出る」
「それを承知で転入したんだろう?」
「知っていたら入らなかった」
「そうだったのか?」
心底驚いたようだった。
「知らずに入ってくる人間もいるんだな。まぁ、そういう人間はいない事もないようだが、それだと、一年と持たずに退学していくものなんだがな」
阿部は首を捻る。
「しかも君は、ちゃんとこの学校に馴染んでいるようじゃないか」
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